意外と知らない靴下の歴史!日本で初めて履いた人物とは?
突然ですが、あなたは靴下のことをどれくらい知っていますか?
靴下はデザイン性と機能性を兼ね備えた、いわば足元の要。
ですが、靴下は「何となく」「これでいいか」なんて、軽い気持ちで選ばれることも多いのが現実です。
だから私は声を大にして言いたい。「ちょ、待てよ!」と。
あまり知られていませんが靴下には、それはそれは興味深い歴史があるのです。
おもしろい歴史を知ることで、あなたも靴下の魅力に気づくはず!
そこでこの記事では、溢れんばかりの靴下愛を持つ私が、日本の靴下の歴史についてお話します。ぜひ最後まで付いてきてください!
日本に初めて靴下がやってきたのはいつ?
永禄10年(1567年)から寛永12年(1635年)の間に、南蛮貿易の輸入品として日本に入ってきたのが、記念すべき日本初の靴下です。
当時、ヨーロッパでは手編みの靴下が大流行していたことから輸入されたといわれています。
その時代の日本には靴を履くという文化そのものがなかったため、足袋は存在しても靴下はありませんでした。
日本初の靴下を履いたのは徳川光圀
靴下の歴史を語るうえで、徳川光圀は避けて通れません。
徳川光圀は、今も昔も愛される「水戸黄門」であり、日本で初めての靴下を履いた人物でもあります。
ちなみに光圀は、好奇心旺盛で新しいものが大好き。諸説ありますが、日本で初めてラーメンを食べた人物としても有名です。チャレンジャー光圀。
ちなみに当時は靴下ではなく、莫大小と書いて「メリヤス」と呼ばれていました。
「どう読んだら莫大小がメリヤスになるんだ!?」と思うでしょうが、メリヤスという音は、靴下を意味するポルトガル語の「メイアス」という言葉からきています。
そこに、「大きくなったり小さくなったりする」という意味の漢字を当てました。
わざわざそんな漢字を当てるところからも、当時の日本にとって伸縮性のある靴下がどれほど珍しかったのかがわかります。
靴下を気に入った水戸黄門
初めて靴下を履いた徳川光圀でしたが、その後はなんとそのまま靴下を気に入り、愛用者になります。
その証拠に、光圀のお墓からは綿製品の靴下4足、絹製品の靴下3足、計7足もの靴下が発見されました。
その中でも茶色の絹靴下は特に使用感が残っており、光圀のお気に入りだったようです。
当時、あまり普及してなかった靴下を愛用していた光圀は、まさに靴下界の先駆者!
西洋文化と共に靴下も普及
徳川光圀の死後、時代が明治になると靴下は少しずつ庶民にも認知されていきますが、まだまだ手にできるのは一部の富裕層のみ。
そんな靴下が、ついに大衆に広く普及する日がやってきます!
西洋の文化をたくさん取り入れ、和装から洋装が一般的になった大正時代がやってきたのです。
アメリカから自動靴下編み機を輸入し、大量生産することで低価格の靴下が誕生。大衆の手にも渡るようになりました。
そもそも、なぜ「靴なか」ではなく「靴下」なの?
かつては「メリヤス」として親しまれていた靴下ですが、昭和初期には現在と同じ「靴下」と呼ばれるようになりました。
しかし、ふと疑問に思いませんか?
「靴の下に敷くわけでもないのに、なぜ靴下なの?」「靴の中に履くんだから靴なかじゃないの?」と。
これは、外からは見えない内側のものに「下」という言葉を使う、日本語独自の特徴に理由しています。
例えば「下着」や「下心」などがそうです。
靴下も、靴を履けば外からは見えなくなるため靴下といいます。
まとめ
南蛮貿易の輸入品として日本に渡った靴下。
水戸黄門として有名な徳川光圀にも愛され、現代でも多くの人の暮らしに馴染んでいます。
そんな靴下に、あなたも少しずつ愛着がわいてきたのではありませんか?
靴下ほど素材や機能、デザインの種類が豊富で、なおかつ興味深い歴史を持つファッションアイテムがこの世にあるでしょうか。いや、ない。
次、靴下を履く際は、ぜひその歴史に思いを馳せながら足を通してください!